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長房団地から廿里まちの広場へ

平成21年3月17日(火)

3月7日(土)は、南浅川に並行して通る長房団地のバス通りを通って多摩御陵方面へ出かけた。

朝暗いうちの出発なので、川沿いの道をやめて甲州街道を西へ向かった。長房団地入口の信号を右折すると東横山橋に出る。この橋を渡って北へ進むと富士森高校、隣に長房小学校がある。その角を左に曲がると長房団地に入る。広い通りをバスが走っている。団地に入ってすぐ、右側に児童館があり、その裏に船田遺跡がある。昭和初期に発掘調査が行われ、縄文から平安にかけての住居跡300件余りが発見され、史跡に指定された。と言っても、今は広場として保存され、石碑が建つだけとなっている。

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児童館裏の石碑の建つ広場は、朝早かったので人影もなくひっそりしていた。私は初めてここを訪れたのだが、ワンちゃんのボール遊びに良さそうな場所だ。以前は休日の時間のゆとりのある日の散歩には必ずボールを持って出かけていた。スーパーボールはよく弾むし、ハッピーの小さな口にぴったりの大きさなので、投げてやると喜んで走って取りに行く。ボールが草むらに落ちると見失ってしまってそのまま見つからないこともたびたびあった。最近は適当な遊び場所のあるところを通らなくなったのでやめていたが、ここならできそうだ。

都営長房団地は近年になって建て替えが行われ、バス通りには高層住宅が並んでいる。

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先日の広報「はちおうじ」によると、このあたり一帯は戦時中、東京陸軍幼年学校があったそうだ。昭和20年8月2日の八王子空襲によりわずか1年半という短い歴史を閉じた。戦後、敷地は地元に返還され、農地として使われたが、その後都営住宅として生まれ変わった。

幼年学校は13.4歳の少年が陸軍の将校を目指して学ぶ学校。13.4歳といえば今でいえば中学生の年代。まだ子どもの部分をいっぱい残した若者が、大きな夢をもってこの地へ来て、どんな思いをしていたのか、想像できるようで、きっと想像もつかないようなことが、世の中にも、少年たちの心の中にも起こっていたのだろう・・・ こんなことを考えながら西へ西へと歩くと、多摩御陵のケヤキ並木に出る。向こうには陵南公園の球場のライトが見える。

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ケヤキ並木のつきあたりが多摩御陵入口。その手前あたりに大きなセビの木がある。綾南公園の中にも御陵の沿道にもアセビがたくさん植えられているが、これほど大きくない。

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御陵の前に交番がある。パトカーが止まっていなかったら交番とは分からないようなしゃれた建物だ。

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 多摩御陵入口           交番

交番の角を左に曲がると、去年整備されたばかりの坂道を下って南浅川に出る。私はこの坂を“見晴らし坂”と呼んで、大好きな道である。

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この坂を下りきったところに古道橋があるが渡らずに川に沿って上流に向かうと廿里まちの広場がある。

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まちの広場へ向かう川沿いの道もなかなか良い。

この広場にはいくつかの種類のサクラがあって、それぞれに名札が付けられている。種類は、染井吉野の他におもい川陽光関山(かんざん)、それに河津桜がある。河津桜は小さい木だがが満開手前のちょうど見ごろだった。他の種類はまだ蕾も固く、これからだ。

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公園の向こうに陵南大橋が見える。

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この橋を渡ると南浅川の右岸が歩ける。古道橋まで来ると今度はこの橋を渡る。

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渡ってすぐ右に陵南公園の外を歩く道がある。桜の枝が川の方へのび、枝の下をくぐるようにして歩く。向こうに南浅川橋が見えて、桜の咲く時期にはここから写真を撮る人が多い。

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南浅川橋に出るとそのまま南浅川に沿って下流に向かった。

P1060568 陵東橋付近

この橋の付近は梅がきれいに咲いていたがそろそろ終わりだ。梅の実がたくさんなる木があって、その頃になると「とらないでください。みんなでとる日をお知らせします」と注意書きが去年は出されていた。梅の花の次は桜だ。模擬店が並んでにぎやかになる。それが終わると、この橋を中心に、上流、下流に1,000本ものこいのぼりがなびく。正式な名称は「長房ふれあい端午まつり」。

今日は土曜日だから、このあたりでアルルスさんとレイちゃんに出会わないかなあと思ってあたりを見回すも、柴犬ちゃんは見当たらない。朝8時だ。ちょっと早いかな。私にとってはいつもより1時間遅いが、休日の朝遠くから出かけてくる人にとっては8時はちょっと早いかなあと思った。

沿道の住宅の木や花を眺めながら歩くのも楽しい。ツバキチンチョウアセビがよく植えられている。ミツマタサンシュユも時々見られる。ウメもまだよく咲いている。

野の花たちはまだ春を感じないのか、おやすみしているようだ。オオイヌノフグリヒメオドリコソウホトケノザ(サンガイグサ)が元気だ。特にサンガイグサはヒメオドリコソウの渋い色に比べて華やかな赤紫色でよく目立つ。

そんな中で黄色い花が目に飛び込んできた。自生ではなくたぶん誰かが植えたものだと思われる。数本見られた。見たことのあるような花、葉っぱもよく見る形だが、何という花だろう。クエスチョンマークのままになっている。

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今日はいつも通り、朝5時過ぎに家を出た。その頃はまだ真っ暗だが、6時頃には明るくなってくる。写真を撮るにはもう少し明るさがほしいところだ。これからの季節は夜明けがだんだん早くなるので、花も見つけやすいし、写真も撮りやすいと思うので楽しみだ。

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コメント

アルルスさん、コメントありがとうございます。
陵南大橋とそのふもとの廿里まちの広場まで行くには近道もあります。多摩御陵入口の前を通るとすぐに右に曲がるのです。(交番の角を左に曲がらずに) 私は見晴らし坂を通りたいので遠回りをしました。
加賀乙彦の「帰らざる夏」は読んだことはありませんが、谷崎潤一郎賞を受賞した作品でもあり、有名なのであらすじは少しだけ知っています。私の友人(81歳)も15歳で満州開拓義勇隊に入り、その時の話をよく聞いています。この人とは散歩で知り合った人です。午後の散歩で毎日のように会っています。人の出会いは不思議なものです。

投稿: ハッピーママ | 2009年3月18日 (水) 13時43分

やっぱり7日は同じ道を通っています。トンネルの上に行って、小学校の手前を右に曲がりました。荒れた空き地がありますね。その西側が遺跡だと思います。なるほど見晴らし坂って良さそうですね。陵南大橋まで歩けるのですね。今度行ってみます。同じところでも、ハッピーママさんが写真に撮って、書くと、ずっときれいなところに見えますね。

幼年学校の話、聞いたことがあるかもしれません。作家の加賀乙彦は、在学中の経験を『帰らざる夏』(講談社文芸文庫)で描いています。小説としては『永遠の都』のほうが私は好きです。

いよいよ春ですね。色々な意味で楽しみです。

投稿: アルルス | 2009年3月17日 (火) 22時19分

黄色い花の名前が分かりました。キンポウゲ科の“ヒメリュウキンカ”です。もともとはヨーロッパ原産で、ヨーロッパでは普通に生えている植物らしいです。日本ではネット販売も行われていて、園芸植物の野生化が最近進んでいるということです。お花屋さん2件でききましたが分かりませんでした。片倉城址公園にもあったので管理している人にききましたが、申し訳なさそうに分からないと言っていました。最近 “はなせんせ”はなんとなくご無沙汰しているのですが、誰かが投稿していないかなと思って久しぶりに開けてみると、やはり投稿している人が2月以来数人いました。名前が分かったのでネットで検索したというわけです。この写真は3月7日に撮ったのに、今までそのままにしておいたのですから、私はやっぱりのんびり屋です。サクラも開花まではワクワクしながら待って、あそこも行こう、ここにも・・・と楽しみにするのですが、一斉に咲き始めるとアッという間に散ってしまって、ま、いいか、来年の楽しみ・・・と思ってしまうのです。

投稿: ハッピーママ | 2009年3月17日 (火) 14時02分

おはようございます。
 河津ザクラを近くでじっくり見てみたいです。今月初めに伊豆の河津に行って見たいと思っていましたが、知り合いが期間中は人が多くてゆっくり見ることが出来なかったと言っていたので、行くのはやめる事にしました。夕焼け小焼けの里やその他の場所でも河津ザクラがあるのですが、ついつい花期を過ぎてしまいます。
 黄色い花は何でしょうね。とても色鮮やかな感じです。園芸種かもしれませんね。野の花もこれから楽しみです。

投稿: makoto | 2009年3月17日 (火) 07時01分

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